沿革
昭和13年2月、全牟礼地域居住民の総意を受けた長老安田健一氏等が率先して創立斡旋の任に当り、当時在京中の幾度惇を初代園長に、幾度アサ、同晩稲(現古林)、同玖美子を保母とし、防府市議会の協賛を経て、県知事より文部省令による幼稚園として認可を受けました。こうして、牟礼村役場跡地に、牟礼地域唯一の「幼児教育の場」が誕生しました。
現在、牟礼幼稚園、牟礼保育園、東牟礼幼稚園、東牟礼保育園の4施設が成り立っています。
草創期
初代園長幾度惇の遺稿(原文)
本園は当初防府市から牟礼村役場の敷地建物一切を無償提供されておのづから社会施設の顕現ともみらるべきであるが実は純然たる私立の進德門でもとより寺院等を背景とする因縁もなくまた下名が之を承けて園長の名を揚げた後十五年間他の切実な示唆勧誘を受けたに拘はらず一回も寄付金募集したことさえなくしかも牟礼区域の住民大多数生活の現状を考慮して極めて低廉に保育料を判定し安易に自動を収容した事は一般の認める所である。牟礼保育園はその前身たる幼稚園が設立後まもなく予期しない国家的大難眹兆に厄されて進展遅々軍国中は僅かに旧株を守って因循七年経営の責を負った老書生が得意の潔癖を助長させ辛うじて命脈を保っていたが幸に戦争終止ついで保育制度の更新に恵まれて本然の体制を立てなおし遂に今日の盛運に際会したのである。牟礼は防府市の東端に偏在してやゝ円形を環らしその要枢に位置を占める牟礼保育園の発達は豊かで比較的に堅実なものと謂うべきであろう。
牟礼幼稚園/牟礼保育園 沿革
昭和13年2月 | 文部省令による幼稚園創立 |
昭和20年6月 | 県の指令により幼稚園を休園し、戦時保育書と改称 |
昭和23年12月 | 児童福祉施設として県知事より許可 名称を牟礼保育園と改称 |
昭和39年4月 | 牟礼幼稚園の再開 |
昭和49年4月 | 姉妹園として、東牟礼幼稚園・東牟礼保育園誕生(牟礼上木部) |
昭和53年8月 | 牟礼幼稚園法人認可 学校法人幾度学園牟礼幼稚園と改称 |
昭和55年12月 | 牟礼保育園法人認可 社会福祉法人牟礼会牟礼保育園と改称 |
昭和57年3月 | 保育園全面改築 |
昭和57年5月 | 開園45周年記念式典挙行 |
平成19年3月 | 牟礼幼稚園本館改築 |
平成21年3月 | 創立70周年 |
東牟礼幼稚園/東牟礼保育園 沿革
昭和49年4月 | 牟礼幼稚園・牟礼保育園(牟礼今宿)の姉妹園として開園 |
昭和62年8月 | 幼稚園2回増築 |
平成2年12月 | 運動場用地拡充 |
平成6年7月 | 運動場造成・駐車場完成 |
平成11年3月 | 老人デイサービスセンター牟礼苑 開設 |
平成20年4月 | 開園35周年 |
平成23年12月 | 子育て支援センター造築 |
津保美会(育友会OBの会)
卒園された育友会の方々や卒園された児童の皆さんが、いつまでも園との関りをもっていただき、今日まで続いています。
津保美会とは、幼児を花に例うれば、蕾でその蕾である幼児を守る会という意味です。